1967年2月、小西政継率いる山学同志会パーティは、マッターホルン北壁の冬期第三登に成功した。「容易な初登頂より困難な第二登」を理想とし、厳寒のアルプスに真のアルピニズムを求めた熱き想いは、40年以上のときを経た今日でも色あせることはない。のちにヒマラヤの北壁を次々と陥し、「ヒマラヤ鉄の時代」の牽引者となった小西政継の原点がここにある。